チルカット川
長い冬の始まり

南東アラスカの自然は、“Alaska“でイメージする極限の地のアラスカとは、全く異なる。世界最北の温帯雨林が広がり、深い森に無数のサケが遡上してくる。多くの動物が長い冬を乗り切るために最後のサケをもとめて集う。

 
 

沿岸山脈から流れ出る

チルカット川は、北極の大河ユーコン川の源流である沿岸山脈(Coastal Mountains)と同じく、ユーコン川が内陸部へ流れてゆくのに対して、分水嶺の対局である山脈の南側へ流れ出しているのが、チルカット川である。そのため、同じ山脈の源流がありながら、3000kmのユーコン川に対して84kmのチルカット川は短く急な山を降りてくる。

氷河を源流として流れている川は、細かい砂の粒子が攪拌されながら流れるため、川は濁って柔らかい白濁の水で流れてくる。チルカットにも何本か注ぎ込んでいるようだが、海に近い河口付近では再び透明感を増している。

ヒグマが目の前に出てくるとは、まったく考えていなかった

僕は安心し切っていた。アラスカでヒグマといえば、早ければ10月初旬、遅くとも11月上旬には冬眠に入る。冬の撮影の良いところは、ヒグマの心配をしなくてもよく、必要ならテントの中で炊事することもできるということだ。しかし、今回の状況は全く違っていた。
僕がハクトウワシの撮影に集中していると、藪で巨大なものの動きが見られた。初めは人間かと思ったが、すぐにその巨大な深い茶色の体躯を現して、僕の目の前に出てきた。距離にして20メートル。自分から動いてはいけない距離だ。様子を見るしかない。「まさか…」と思った僕は頭の上の方の毛が逆立ち、痺れるような感覚を覚えながら、急な動きはせずに、じっとその場で観察した。大きさ2メートル以上400キロ近くあるヒグマとは、これまでに、もう何度も遭遇してきたから、このときに慌てずにすんだ。
ただし、これはただの僕の準備不足ではあった。冷静に考えれば、サケがまだ遡るのだから、ヒグマが出てきても当然である。それを、北緯63度前後のアラスカの11月という基準で旅を準備してしまっていた。北緯56度くらいのアラスカでは、季節も生態も周囲の環境も、アラスカの“通常の“イメージとは、大きく違う。完全にちがう森の国であり、異なる世界なのだ。

ヒグマは僕を一瞥した後、川へ向かった。それは当然だ。目の前に出てくるヒグマが、僕を目指して歩いてくることはない。基本的に人間を避けようとする彼らには、そちらへ行かなければならない理由がある。

そしてヒグマはサケをとり始めた。

傷ついて体力が限界の漂うサケを、ヒグマがいとも簡単にとらえる。その鋭い爪にかかったサケは、大きな抵抗をするでもなく、死期を悟る者らしい態度を見せて、ヒグマに引き裂かれた。

このとき僕は、サケの遡上シーズンが終わりを迎える頃のヒグマを初めて観察することになったのだが、ヒグマの方も、最後の季節だということをよくわかっているらしく、サケを選別している。まだ体力があり、体を捩らせる筋力を保持しているサケを無理に追わずに、抵抗しないサケを食らう。冬眠前の彼らにとっても、走り回って体力を消耗する季節ではない。自分の体重を3分の2にまで削り取る長い冬をのり越え、生きて春を迎えなければならないのだ。

 

チルカット川

チルカット川にハクトウワシがそれほどたくさん戻ってくることは、当然ながらそれ以前にシロザケが安定して多く戻ってくることが大きな原因の一つと言える。太平洋にはサケが5種いる。日本にもいるシロザケは、回帰率(大人になって生まれた川へ戻るサケの割合)が多種に比べて非常に高く97%である。それに対して、カラフトマスは50%とかなり低い。
アラスカのサケ遡上川(Anadromaous rivers)を見るとき、どの種が主にその川に上がってくるのか、その毎年の安定性を見てゆくと、シロザケがのぼる川が安定していてヒグマが漁場としている場合が多いと思う。これは僕の感覚で話をしているから正確ではもちろんない。

旅の目的

チルカット川を世界的に有名にしているのは、ここに世界最大の数のハクトウワシが集まってくるからだ。多い年は4000羽を超えることもあるという。冬の景色にハクトウワシがサケを求めて奪い合う、そうしたシーンを想像する。そのシーンの中には、サケ自身がめぐる命をつぎにつなぎ、自らの命を終えてゆく、という自然の摂理が想像できると同時に、ハクトウワシの生きる姿を写したかった。ハクトウワシは、ほんらい単独で行動するため、4000羽も集まってきたところで群れているわけではなく、それぞれが個々に別の行動をする。それだけに密に集まることにはもちろん理由があるだろうし、そうした中で繰り広げられる彼らの生きる様子を観察してみたい。

 

ヘインズまでのアクセス

先の地図で見てもわかるように、チルカット川はアラスカ州の端にある。この海辺の街ヘインズがチルカット川の河口に位置している。ここを拠点に撮影をするのが良さそうだ。そして、フェアバンクスから車で11時間、カナダを通過して再びアラスカ州へ入るため、車で国境を越え移動することになる。ヘインズスキャグウェイという小さな街だけが、南東アラスカでは車でアクセスできる街になっている。

Previous
Previous

険しい山岳に生きるドールシープ

Next
Next

アラスカのトナカイ