増えるのを待つ
第二章の2022年の更新から4年、やっと内陸部アラスカにオオヤマネコ(英名:リンクス)の個体数増加の傾向が顕著になってきた。
「数が増える」といったのは、オオヤマネコの個体数には激増し、激減する、波打つように規則的な「11年サイクル」というのが存在するからだった。僕はこのことを学んで知っていたし、その知識に並行するように観察による実感も伴っていた。
これはオオヤマネコの生命線とも言える獲物、ユキウサギの数が、突如として姿を消す現象(クラッシュ)が生じることが原因だった。
このクラッシュには3つの大きな要因がある。その大きな一つが、ユキウサギの繁殖能力の低下だった。天敵であるオオヤマネコが増えると、ストレスを感じ、食べる量が減る。それに伴いホルモン(コルチゾール)が低下し、ユキウサギの排卵数が減り、出産数が減る。これほどに繊細な生き物が北国のユキウサギの実態だ。
季節が巡り年が過ぎ、再びユキウサギの数が増えれば、そこにまたオオヤマネコがやってくる。最新の研究では、北米のオオヤマネコが、ユキウサギがいなくなることで餓死しているのではなく、獲物がいる場所を求めて長い時では数千キロも移動して、それまでのなわばりを出てゆくことが知られる。→詳細は第二章を参照)
デナリ国立公園での冬、僕が別の動物を撮影をしているときに、オオヤマネコの足跡が多くなっていることに気がついた。
それと同時に、ユキウサギの足跡も多いことがわかる。
デナリ国立公園の入口付近は、トウヒと白樺が入り混じった北方林(Boreal forest)であるエリアが、いくつかツンドラとのパッチ状になって散在し、そこはユキウサギが隠れながら食糧であるヤナギを豊富に食べていける場所である。
オオヤマネコの繁殖シーズンが狙えるかもしれない。そう思っていた。
「あまり期待をせずに、しかしその場に何度も何度も足を運ぶことを繰り返す、今回はそれで行こう…」
それが、8年かけてたった7回だけ、これまでオオヤマネコに出会えた経験から導き出された答えだった。
デナリ国立公園
Denali National Park & Preserve
夏の観光シーズンには100万人の来訪者がいる人気の国立公園。冬場でも最近はオーロラ観測やクロスカントリースキーなどの冬のアクティビで訪れる人が増えているため、人を極端に避ける傾向にあるオオヤマネコを追跡にじっくり取り組むには不向きだと考えていた…。
アラスカでは2月下旬から4月中旬ごろまでの約2ヶ月半の交尾の季節、ペアで2日間を一緒に過ごすという行動を、期間中に数回繰り返されると考えられている。奥に座っているのがおそらく、まだ若いオス。
リンクスとの遭遇
この日の遭遇まで、何度も何度も足跡を追った。
薄明の時間帯から動物を探し回っていたある日、森の奥の木立の間に何かがいることに気がついた。僕はこれまで15年以上も動物を見つけるということをしている。撮影は常に「見つける」ことから始める、いや、見つけなければ一枚も撮ることすらできない。動物の写真を撮る、という行為を続けていると、次第に木々と雪の、ぼやけたモノクロモザイクのような、その視野の中に映る漠とした景色の中から、冷たい針のように突き出した毛むくじゃらだけが異物として浮かび上がり、それを瞬時に見つけ出すようになる。そんな目が、身に付く。
むかし人間は、動物を狩るときに協働で役割を分担して、まずは動物を見つけるというハンターたちの中の一人の役があった。その人は、多分、そうして、ただでさえ景色に溶け込むような配色をしている極地の動物たちをその眼で見つけていたに違いない。
それであまりにも遠ければ初めは何かはわからないのだけど、少し近づいてオオヤマネコだと気がついた。
「そのまま真っ直ぐ近づいたら、また逃げられる。これまですべて逃げられている。時間をいくらかけたってダメだった。」
「じゃあ、大きく迂回するのが良いだろうか、、、。慎重に動かなければ、全てがダメになる。でもそのぎこちなく不器用な挙動こそが、オオヤマネコに警戒されるのも、知ってる。」
二頭いるのがわかり、すぐに繁殖期のペアだと分かった。
「この季節のペアならば、いけるかもしれない」
なぜなら、この動物には繁殖期特有の奇怪な行動の特徴がある。それは、自分たち以外をほとんど気に留めないという性質だ。以前、もう10年も前の話だが、僕の目の前に向かってきた二頭のオオヤマネコがいた。僕が歩いている雪道を、そのまますれ違うくらいの約3メートルのところまで、なんとオオヤマネコの方から近づいてきて、僕がいるから仕方がなく、怪訝に足を止め、そこから曲がって森に入って行ったということがあった。その時のオオヤマネコが、僕の存在に対して、いつものような警戒心を、完璧に無くし、交尾の季節特有の、オスはメスを離さず、メスはオスから逃れるけど離れ過ぎないという、「異常状態」に入っていたのだと分かった。「いけるかも知れない」と思ったのは、このことからだった。
僕が至近距離(約5m)にいても、ほとんど気に留めない。
メスの動きを凝視するオスのオオヤマネコ。
オスの動きを警戒するメス。
互いが唸り声を上げながら、オスが距離を縮め、メスが退く。
よく見ると、オスの方が左耳の付け根に怪我を負っている。
約1メートルが、二頭の臨界線となる。
一瞬、オスが屈んだと思った時に、メスが飛びかかろうとする。
素早いオスの攻撃を、100分の1秒の判断で「躱(か)わす」メスのオオヤマネコ。
メスは、オスの攻撃から逃れた直後に、後方へ退き、踵を返して素早く去った。
一瞬の駆け引き
オスのオオヤマネコは、頭を低くし、太陽を背にしてメスを捉える。メスは虹彩の筋肉を極限まで収縮させ、瞳孔を閉じるが、それでもまだ眩しい春の光に、少し動揺する。
この若いオスは、何もかもを知り尽くしているタイガの主であるかのように、周囲の環境を味方に、相手に接近しようとする。
この季節には、高い角度から照りつける太陽の光と、それを反射する雪面。光が回り込めない樹木の黒い影。
日中の光が、雪面のほんの上の部分だけを溶かし、陽が傾くと影がすぐにそこを凍りつかせる。その交戦で固まるクラストに、自分の右足が十分に対応できる硬さになる季節の午前中、オオヤマネコは、雪面をより素早く駆け巡ることができるようになる。
アラスカの厳冬期に身を守り抜いたその動物を覆う下毛は、午前の光を包み込んで体を徐々に温めてゆく。陽が高度をあげると、筋肉は程よく弛緩し、血が流れ、酸素が巡り、瞬発力を発揮する。
オスもメスも、この時を待っていたかのように、動き出す…
仮説→体験知、そして再び仮説へ
視野を狭めることで見えてきたこと
lynx movement, USFWS, Public Domain
オオヤマネコ(Lynx Canadensis)の行動 2019年3月初旬から8月末までの動き
この動態を見ると、オオヤマネコがいかに移動する動物であったかがよくわかる。繁殖期である3月を終えると、メスは巣で子育てを開始するが、一方オスは劇的な移動を開始する。注意すべきは、2019年が、ユキウサギが減少に転じた年であったということ。この実態調査と、僕の経験則は合致する。
この移動の確かな理由は、まだ誰も確定しきれていないようだが、2019年はアラスカ内陸部では、全体的にユキウサギが急激な減少(クラッシュ)が始まる年だった。また、天敵によるストレスからのユキウサギの出産生理の停止など諸説あるが、オオヤマネコにとっては、ユキウサギがいないなら居る場所を求めて移動してゆくのみ、というのが普通の考えだろう。
吾輩は猫である…
名前はまだない。
あの人間は、いったい何をしているんだろう、カメラなんてこちらに向けて、、、。
北方林の捕食関係
動物たちは、食う喰われるという捕食関係を、生息域の中で持っている。彼らは天敵からどうすれば確実に逃れられるか、あるいは、いかにして捕えるか。冬の間は特に、「食べられないように食べ続けること」にすべての時間を使っているようにさえ思える。
日中動くオナガフクロウ(Northern hawk owl)
隠れるのが上手いユキウサギ(Snowshoe hare)
オオヤマネコ - Lynx -
オオヤマネコは、夜行性の動物と言われるが、地域によっては薄暮性、つまり日の出と日没の前後によく行動をする個体が多い。その行動時間は、彼らの獲物となっているユキウサギに影響を受けている。繁殖期である早春は、日中でもよく行動する。
オオヤマネコが狩る動物の90%がユキウサギであるため、ユキウサギの数が減ると、オオヤマネコの数もその地域で見れば減退してゆく。これは自然の正常なサイクルであって、オオヤマネコの数が減れば、つぎにユキウサギの数が増えるので、どちらの種も、自然条件下において消滅してしまうということはないと考えられている。
最終目的は、
オオヤマネコのハンティングシーン
第一章から変わらないのは、このオオヤマネコ撮影の最終目的が、
「ユキウサギを狩るハンティングシーン」であるということ
これは、極めて難しく、まだうまく撮影した人はいない。
今回の11年サイクルと、どこでどう撮影をすべきか、これを見極めることが鍵になることは言うまでもなく、その準備を進める。
All images of the “Northwest Boreal Forest Lynx Project 2019 Summary Report for Tetlin National Wildlife Refuge” are from published research papers. If you have any questions or need to report, please contact Nakashima Photography. Thank you.